南米遠征の最後の仕上げ、冬期甲斐駒ヶ岳赤石沢Aフランケ~Bフランケ~奥壁継続登攀のために、10月に荷揚げを兼ねて、試登を行いました。デポの荷物、登攀具の重荷を担いで、黄蓮谷右俣を遡行、甲斐駒ヶ岳頂上にダイレクトに突き上げました。今から考えると、羨ましい体力です。8合目岩小屋にデポ、ここをベースに反対側の赤石沢の岩壁群を試登しました。
※【甲斐駒に遊ぶ by S村M記】は、会誌「山歩」No.18、1978年1月14日発行、pp29-36より、無断転載。(ゴメンナサイ m(*- -*)m)
【甲斐駒に遊ぶ(プロローグ)】
山-これは一体何者なのだろうか?地殻がもり上がった単なる起伏に過ぎないかもしれない。でも愛を信じ、ロマンの判る人間には単なる凹凸ではないと思う。山には魂があり、子供に昔話をする老婆のように、山は人間に何かを語りかけている。そしてたまたまその語りかけに気づいたのが、我々登山者なのだろう。この懐(ふところ)深き自然に抱かれていると、一種の安心感を持つのである。否、実は危険窮まりない状態に居るのかもしれない。しかし、この状態こそ、損得勘定なしに(云ってしまえば、自己満足のために)その人が求めているものなのだ。岩登りは危ないとよく言われる。それは否定できない事実だと思う。でも、クライマーはそのことを承知して岩と語り、ある時には満足感にひたり、ある時には、挫折感に襲われ、また時として死に至るのである。彼は決してほめられるような人種ではないが、決して否定されてはならない。長い冬が過ぎ、永遠の春に詩人の魂が遊ぶように、クライマーの身は岩を攀じり、そして魂は無限の可能性を追求しているのだ。
そして、ぼくは不安と期待と安らぎの世界へまた、旅立とうとしている。
昭和52年(1977年) 10月19日(水)天気:晴れ
【甲斐駒に遊ぶ(ド・ド・ドライブの章)】
1977年10月19日午後2時、やっとのことで車でBoxを出発する。出発まで待っててくれたフーコオバヤン、ありがとさん。その他、差し入れをくれた人たちもありがとさん。
名神、中央高速を平均120km/h程でぶっとばす。夕暮れ頃、高速と別れ、国道を一路甲斐駒へ。途中で夕食を取り、午後8時、黑戸尾根の取付点「駒ヶ岳神社」に着く。酒を少々飲み、はやばやとシュラーフにもぐりこむ。(注)今回の山行ではおチャケはこれでおわり!
昭和52年(1977年) 10月20日(木)天気:晴れ
【甲斐駒に遊ぶ(S村君、恐怖の滝すべりの巻:20日)】
10月20日。尾白谷より数百メートル上を谷と平行に走っている林道に達するため、急斜面についている踏跡をたどる。いつものように道に迷って、やっとのことで林道に這い上がる。
ここから見る甲斐駒は、はるかに遠く、気の遠くなるほど高い。明日登る予定の黄蓮谷右俣は、ダイレクトに頂につきあげている。そしてその右手には甲斐駒三大岩壁の一つ「坊主岩」がそそり立っている。ここ数日、気候が穏やかだったせいだろうか、あたり一面の紅葉ではない。しかし、やはり秋を感じさせる山容だ。北アルプスでは味わえないスケールの大きさに圧倒されながら、林道を進むことにする。トンネルを3つ通り、林道も終わりを告げる。赤布に従って尾白渓谷に降り立つ。
ここで昼食を取り、谷を忠実に進んで行く。今日は徒渉はないだろうとクレッターシューズのままで歩きだしたのが失敗だった。しばらく行くと美しいナメ状の滝に出くわす。大きな釜を持っている。流水溝の左のスラブが登れそうなので、フリクションをきかせて滝の上へ。このまま右岸を行くには徒渉しなければならず、クレッターの僕は濡れるのがいやで、左岸へ飛び移ろうとしたのだ。荷物を背負っていたせいもあってか、流れの中に足がつき、そのままツルリ。しまったと思うや否や、目の前に水が現われた。「今、僕は滝から落ちてるんや。メットをかぶっていたらよかった。」と思うまもなく、とても息苦しい。そう、滝壺におちたのだ。必死にもがいているとザックが浮きとなり、水面へ。ザックから脱出して5m程泳いで岸へ。10m程の滑落だったが、あごを少々打っただけで他に異常はない-これほど落ちてほとんどケガがないとは運が良かったとしか云い用がない。日が照っていたので寒さは全く感じない。また、興奮状態でもないことを確認する。水をすったザックは非常に重くなっており、M屋君にザイルを持ってもらう。その上、滝の上までザックをKumaさんに持って上がってもらった。僕の甘えと不注意から、パーティーの皆んなに多大な迷惑をかけてしまった。何かにがい経験をしなければ自己をコントロールできない自分にほとほといや気がさして来ており、また情けない次第だけれど、開き直って、この経験を肝に命じ、二度とこんな不始末はしないと決心しております。どうかどうかボクチャンを見捨てないで~。この後は足を一歩一歩慎重に出すことに専念し、千丈ノ滝上の白稜会岩小舎に入いる。
昭和52年(1977年) 10月21日(金)天気:晴れ
【甲斐駒に遊ぶ(S村君、恐怖の滝すべりの巻:21日)】
21日。いよいよ黄蓮谷の核心部。メンバー皆んなが気を使ってくれているのがよくわかり、気恥ずかしさと不安とが入り混っていて気の重い出発だ。水際は氷がはっていて恐ろしい。M岡君、T崎君、MN君、T島君、N河君の事は、Kumaさん、T村君、S井君、M屋君にお願いして、僕は自分自身のことに気を配ることにする。“昨日の失敗は技術的なもんじゃない。気のゆるみだ。お前なら子の沢は登れて当たり前じゃないか” と自分に言い聞かせて一歩一歩進む。坊主の滝を過ぎるころからだんだんと調子が出て来て、いつもの冗談も出るようになってきた。風景にも目を向けられるようになる。紅葉した木々に朝の日が差し込める。一瞬まわりが真っ赤になり秋山に来てんねんなあと実感がわく。そして、左俣、右俣の分岐を過ぎ、本流の右俣にはいり、奥千丈ノ滝に出る。逆くの字型のすばらしいナメ滝。百数十メートルはあるだろう。左岸を高巻く。後は水のなくなった谷を頂上真下までつめるのだが、とても苦しい。各々が自分のペースでバラバラに登る。T崎君がまず稜線に飛び出し、以下ゾクゾクと稜線へ。ずいぶん休憩した後、黒戸尾根8合目の岩小舎に向かう。遅れて黒戸尾根より入山した久保君が出迎いに来てくれた。彼の入手した情報によると、Aフランケ赤蜘蛛ルートは、ハーケン、クサビが抜けていてシブイとのこと。くじで翌日同ルートを登ることになった我々3名―Mヤ、T村、ワイ-は不安な夜をすごすことになった。
昭和52年(1977年) 10月22日(土)天気:晴れ
昭和52年(1977年) 10月23日(日)天気:晴れ
【甲斐駒に遊ぶ(ビ・ビ・ビバークの巻)】
22日、SEPA以外のメンバー(キチマツ、ナオ、ツァイツェン、トシマ、マダムキラー)を岩小舎に残して、Aフランケ取付へ急ぐ。下部5Pの快適(?)なスラブはザイルを付けずに登る。風化が激しく風が吹くと小石が落ちてくる。Kumaさん、S井君、K保君は白稜会ルートへ。そのルートはボルト連打らしい。順調(?)にザイルが延びているようだ。赤蜘蛛の方は1P目よりハーケンが抜けてなかなか進まない。1Pが終わって2P目に入ったのだが、TopのTヤンは悲鳴をあげている。「ハーケンぐらぐらや。岩もぼろぼろや。落ちるで、ちゃんと確保しといてや。」と何回も何回も叫んでいる。それでも20mほどザイルが延びている。でも、ほんまにあかんようだ。ボルトを打つ音が聞こえてくる。降りてきたTヤンに聞くとクサビがなかったらあかんとのこと。また来ることを誓って赤蜘蛛をあきらめることにする。1Pのアプザイレンで取付点にもどり昼食をとる。
午後1時頃、白稜会に取り付く。赤蜘蛛と打って変わって、精神的に楽な登攀だ。ペースはあがらないが確実にザイルは出ていく。Kumaさんたちも3P程先を登っている。4Pで大テラスに着いたが、もう日は沈み真っ暗。終了点で待つとのクマさんからの伝言があったが、我々はこのテラスでビヴァークすることに決定する。水は3人で400ccほどしかないので慎重に飲む。ツエルトもシュラーフもないので、身に付けれるものはなんでも着たが、非常に寒い。気温は確実にマイナスだ。でも、雨・雪が降らないだけましだ。時々、上部よりコールがあるので、こちらからもコールを返すが、向こうには聞こえていないようだ。(彼らは、22時頃まで待っていてくれたそうだ。ありがとう。)下界では信じられない程の星を眺めながら、太陽の出番を待つ。たまにはこんな事もいいもんだ。眠ろうと努力したり、またあきらめて女の子のことを考えたり、下界での酒のことを考えたりして夜明けを待つ。Tヤンはこんなに寒いのにビールが飲みたいと言い出す始末。あと、8h、7h、・・・・・・・・。やっとのことで東の空が赤くなる。夜明けだ!残り100ccほどの水を回し飲みし、登攀を開始する。人工を主体とした4Pを抜けると終了点に到着。Bフランケ取付の岩小舎にうどんの用意をしておいてくれてあった。昨日は、岩小舎に残った5名が、7合目まで水くみに行ってくれていた。ほんまにありがとさん。今日は、Kumaさん、K保君がBフランケへ。抽選漏れしたT島君以外の者たちは、奥壁中央稜へ行くとのこと。我々3名はゆっくりと8合目岩小舎に帰り、その後トカゲ。中央稜に行ったS井君が大チョンボ-ザックを赤石沢に落としてしもうた!そのおかげでBフランケを4時間と云うハイスピードで抜けたKumaさんパーティーはザック捜し。K谷氏のボヤクことボヤクこと。またBフランケではK保君が1m程のジャンプをしたとか。(クライマーは時として果敢なジャンプを要求されるので~~す。)S井君のザックは見つからず、明日、下山前にS井、K保両君が捜索に行くことになった。(‘ザックは発見できたのですが、トランシーバーがつぶれていたそうです。)
昭和52年(1977年) 10月24日(月)天気:晴れ
【甲斐駒に遊ぶ(恥も外聞もない男-マキムクのキチ松)】
今日は下山なのでゆっくり起きる。きのうからタバコの切れたキチ松はタバコ、タバコとうるさい。皆んなの非難を一身に受けている。さてさてそこに登山者が来たのです。キチ松はビスコ片手に、はだしでスタコラサッサ。見事、セブンスターを獲得してきたのです。一服吸ってからパッキングして、黒戸尾根をころがるようにして下山。いろんなアクシデントがあったが、なんとか全員無事、車の待つ神社に着く。
【甲斐駒に遊ぶ(エピローグ)】
全員無事下山すればやはりホッ-とする。その山行が計画通り行かなくても下山直後は“この山行は成功だった”と思うものだ。でも、欲深い僕は日がたつにつれて“あれではあかんのや。冬に同じ所へ行く気なんやから、あんな計画、たやすくでけんとあかんのとちゃうやろか”と思ってしまう。こんなことをついつい口にしてしまう。気分を害する人もいるのはわかっているいるのに・・・・・・。
やっぱり全員無事下山すれば成功なんやろか?せやけど、全員無事下山するだけやったら、計画自体に甘さがあったのか、それともトレーニング不足だったのか。どちらかやと思うし、つきつめれば己の甘さが原因とちゃうかな~。
Member: K谷M夫、M屋H、T村M秀、S井M
K保K雄、M岡H世、T崎M之、MN郎
T島H雄、N河Y、S村M弘


























































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