1972年4月:天狗塚~三嶺~白髪山縦走

山歩
19720429(13)_牛ノ背より

昭和47年(1972年) 4月29日(土) 天気:晴れ

#天気図

19720429-30(1)_天狗塚~三嶺

19720429-30(2)_天狗塚~三嶺

 

 

 

 

 

 

19720429-30(3)_天狗塚~三嶺

 

【メンバー】北村、佐々木、沢田、私

【費用】食費・フィルム・雑費 700円、交通費 後免-山田 30円、山田-大栃 250円、大栃-影 160円 合計 1580円

【食料計画】29日(昼)弁当、(夜)肉うどん(じゃがいも、玉ネギ、スマキ、肉)、30日(朝)ぶた汁(じゃがいも、肉)、干物、(昼)パン、ハム、紅茶、レモン

 

19720429-30_影~堂床~お亀岩~天狗塚~三嶺~白髪山~影(ルート図)

19720429-30_影~堂床~お亀岩~天狗塚~三嶺~白髪山~影(断面図)

 

 

 

 

 

 

 

【感想】6:40ごろフーフーいって後免へ着いた。天気はなかなかいい。四人分の食料が入っていてズッシリ。これであの三嶺へ登れるか心配だ。この汽車には大ぜいの登山者が乗っていて、影まで同行した。本校登山部や徳永らもいっしょだった。影で登山者名簿へ記入して9:15出発。最初から佐々木の調子が悪かった。渓谷では若葉でおおわれた中をウグイスの声を聞きながら歩いた。目の前の山はうすくピンク色に山桜が咲いていた。本当に感じよい沢にそって登っていった。登中一カ所ガケ崩れがあった。また、土佐女子のテントも張ってあった。このころになるとだいぶ疲れてきた。堂床の前15分ぐらいの間に3回休んだ。堂床小屋はかなり大きい小屋で感じよい。特に便所が光っていた。堂床のちょっと先の沢で昼飯にしたら良いと北村が言うのでついて行くとなかなか着かない。腹が減ってくたくただ。この時食べたアーモンドチョコレートの味は忘れられない。1時間近く歩いてやっと着いた。沢の水を飲みながら弁当を食った。うまかったなあ。もうたとうとすると登山部の一行が来た。1時出発。ケルンがいくつも立っている谷を登って行った。休む回数が多くなった。10分に1度ぐらい休んだのではないだろうか。しまいにははって行った。足がつった。しかし、以外にも目前にオカメ岩が表れた。そのちょっと手前に小屋がある。ササにおおわれた中のキャンプ場に荷物をおいて天狗塚へ出発した。背後には三嶺、次郎笈、剣山などがそびえている。一面ササの畑。天狗塚は土佐槍と思われるほとがっていた。馬ノ瀬(背)からの三嶺方面の景色は天下一品。かなり疲れた。帰ってきてテントをはる。女子大、市役所のパーティーと単独の人がテントをはってメシを作っていた。ウドンはうまかったがちょっと食い足りなかった。その晩、市役所のおんちゃんや登山部の奴らと声を絞って歌った。10時半になってやっと寝た。外の温度6℃。天気はすばらしくよくなって、星がいっぱい出ていた。

19720429(1)_林道を堂床は向かう

19720429(2)_カンカケ谷で登山部と昼食

 

 

 

 

 

 

 

19720429(3)_オカメのテン場でバッタンキュー

19720429(4)_テン場から三嶺への縦走路

 

 

 

 

 

19720429(5)_躄(イザリ)峠の笹原

19720429(6)_躄峠より三嶺・剣山を望む

 

 

 

 

 

 

19720429(7)_矢筈山を望む

19720429(8)_天狗塚頂上で

19720429(9)_躄峠より綱附森

19720429(10)_天狗塚より中津・国見山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19720429(11)_牛ノ背の岩峰で

19720429(12)_牛ノ背より天狗塚

 

 

 

 

 

 

 

19720429(13)_牛ノ背より

19720429(14)_牛ノ背より躄峠・次郎笈・三嶺

 

 

 

 

 

【コースタイム】
6:43 後免
6:51 – 7:05 山田
7:59 – 8:11 大栃
9:08 – 9:15 久保影
11:20 堂床
12:15 – 13:00 カンカケ谷
14:40 – 15:00 オカメ岩
15:40 – 15:50 天狗塚
16:15 馬の背
17:20 オカメ岩
18:30 食事
22:00 就寝

 

昭和47年(1972年) 4月30日(日) 天気:晴れのち雨

#天気図

【感想】3時半の起床。ぐっすり眠れたが少々きつい。メシをたいてみそ汁を作ると4時50分。みんなを起こしてメシを食った。少々メシが残った。佐々木があまり食わなかった。食器を洗って、パックしてテントをたたんで出発。他のパーティーは食事の用意をしている。西熊山の手前で佐々木がキジをうつ。遠くには石鎚、瓶ヶ森が望まれた。やはり早朝は景色がよい。中津山、矢筈山なども影がくっきりでて、すばらしかった。シコクザサの中を行く。見た目にはすごい登りであるが、登ってみるとあまりきつくない。三嶺が徐々に近ずいてくる。頂上には人影も見える。最後の登り。とうとう三嶺頂上。やった。念願の山、征服。ヒュッテへ下って行ってキジを討った。そしてササの中に寝ころんで空を見た。空は青いなあ。」
頂上で記念撮影したあと、鎖をつたって下っていった。この縦走もきつかった。?峠には新道がつながっていた。白髪分岐の登りはもうあえぎあえぎしてやっと登った。そこでポツリポツリと落ちてきだした。急いでカサを出す。ここでメシを食うことにした。あいかわらずパンはまずい。ハムもまずかった。女子大生を追って白髪へ。ここは道はわかるが(一カ所わかりにくい所がある。?みを渡ったら道へ出る)バラが多い。足のところはふちの草がいっぱい。ここも僕にとっては苦しかった。マイペースで。頂上で雨が強くなった。カサを出す。カサをさいても腰から下は草でぬれる。ビショビショだ。きつい下りを下る。一カ所沢へ迷いこんだ。沢を渡って向かい側に道がついていた。ここで女子大生においぬかれ、うしろをついて行くことになる。北村の声は腹たつ。女子大生に向かって「はよう行かんかだの、どうして止まるがやろ」などとうしろでぐちるのだ。追い抜いたらいいのだ。バカメ。その先、尾根のとっ先で目の前が沢のところがある前方に1270mのピークがある。女子大生は右へ曲がったところで僕らにたずねてきた。北村はいつものすばらしい感で(判断力で)下へ下りると決定した。僕らは下へ下りますということで別れた。その辺の言い方に冷たさ、バカにしたような気配が感じられた。僕らの道はあっていた。われわれは、「あいつらは地図もようみんか、おれらあについてこんきよ」とかバトウの声をあびせかけた。沢を渡るところで大声で上の人に連絡した。ここからはもうビショぬれ。橋の下へたどりつき、ストッキングをかえたときにはホッとした。この山行は最低のものであった。帰りの北村の行動でこの一番すばらしかった山行は一変してしまった。

19720430(1)_テントをたたんでさあ出発

19720430(2)_オカメ上から遠く石鎚山系お望む

 

 

 

 

 

19720430(3)_朝日に浮かび上がる中津山・寒峰

19720430(4)_西熊山より躄峠・天狗塚

 

 

 

 

 

 

 

19720430(5)_矢筈山・落合峠・烏帽子山

19720430(6)_縦走路より三嶺

19720430(7)_バテバテの三嶺頂上

19720430(8)_三嶺交差点より縦走路

19720430(9)_三嶺頂上より名頃を眼下に剣・次郎笈

19720430(10)_雌池と三嶺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19720430(11)_カヤハゲ山より三嶺

【コースタイム】
3:40 起床
6:10 オカメ岩 発
7:50 – 8:50 三嶺
9:30 カヤハゲ
10:15 白髪分岐
11:25 – 12:00 白髪山
14:55 影の近くの橋
16:37 影
17:34 大栃
18:40 – 18:52 山田
19:01 後免

【反省】リンゴを持っていってなかった。フィルムは予備を持って行くべきである。もっと雨具の改良が必要。コッヘル入れ、食器入れの必要。バカ、あほうといったたぐいの言葉はどんな場合においても使ってはならない。山行が不愉快になる。経験豊かな奴は、自分より劣った奴に対していばってはならない。劣ったものバトウしてはならない。劣っているからこそ、すぐれた者と行くのであるから。以上のことから僕は単独山行にすごく魅力を感じる。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました