1973年3月:落合峠・矢筈山・烏帽子山

山歩
19730323(5)_落合峠にて矢筈山をバックに

19730323-25(1)_落合峠・矢筈山

19730323-25(2)_落合峠・矢筈山

 

 

 

 

 

 

 

19730323-25(3)_落合峠・矢筈山

19730323-25(4)_落合峠・矢筈山

 

 

 

 

 

 

19730323-25(5)_落合峠・矢筈山

19730323-25(6)_落合峠・矢筈山

 

 

 

 

 

 

19730323-25(7)_落合峠・矢筈山

 

【メンバー】M田、K村、私

【食料計画】23日 夜:すきやき、24日 朝:ぞうすい、昼:パン、ハム、モモカン、紅茶、夜:カレーウドン、25日 朝:ハム、お茶づけ、昼:パン、紅茶、ウィスキー(カク)1本、おかし3袋、チョコ2個、ピーナッツ1、米4合

【装備】ピッケル2、スパッツ、非常食(ラーメン2)、コンロ(ホエーブス1)

【費用】食費・共同 1600円、国鉄 後免-祖谷口 310円、急行券 100円、徳島西部バス 一宇-落合 330円、西谷橋-池田 310円、国鉄 池田ー後免 390円、その他もろもろ合計 3500円

19730323-25_落合~落合峠~矢筈山・烏帽子山~桟敷峠~西谷橋(ルート図)

19730323-25_落合~落合峠~矢筈山・烏帽子山~桟敷峠~西谷橋(断面図)

 

 

 

 

 

 

 

昭和48年(1973年) 3月23日(金) 天気:晴れのちくもりのち晴れ

#天気図

【感想】
全く出発時はひどかった。K村と始発へ乗ったが、M田さんは乗っていない。大杉(後免のまちがい)で降りて次の急行へも乗っていない。そこで大杉でおちて電話すると、さっき起きたばかりだという。疲れているとは思うけどちょっと遅すぎる。しかし、おかあさんの車でくるという。急行がおいぬいた始発へまた乗ると祖谷口へ向かった。バス停で待ったがなかなかこない。バスは知らん顔して通りすぎた。5分後僕たちはM田さんくの車で前のバスを追いかけていた。子供のこととはいえ、M田さんのおかあさんは気の毒だった。曲がりくねった祖谷渓谷の道をフルスピード。前の車を何台もおいぬいてやっと一宇でバスに間に合った。バスには祖谷観光の学生が多かった。車にゆられ2時間。酔って吐きそうになってどうしようかと思っていたら落合へ着いた。たばこ屋のおじさんに道をたずねてその左側の道を神社目がけて登り始めた。十分ほどでついた。りっぱな神社だった。そこで昼メシ。正面に白く雪をかぶった三嶺、躄峠、天狗塚が立ちふさがっていた。こんな光景ははじめてだった。なんだか信州にいるような気がした。空はくもってきて何だか雨が降りそう。1時間ほど休んで出発。上には家がかなり並んでいるが、神社の左側についている道を1番上にある銀白かな、いや赤だったかはちにかく、一番上の目だった屋根目ざして登った。その家のすぐ下で家の庭の道を横切る道を右へ折れ、ロープで下から物を運ぶ機械の傍をすぎ山道へ入った。快調だった。ずっと尾根の東側を登る。トラバースといったほうがよいかな。落合川をはさんで右手にはそう槍ヶ岳みたいなとんがったピークが見える。滝下部落の北のピークだ。四国槍と名付けた。2時間ほど歩くと雪がありだし、小さなお地蔵さんのある尾根へ出る。そこにはこわれた小屋らしきものがあり、そこでM田さんがショーターまがいのキジを打った。そこから右手のサガリはげ山正面の落合峠を前に1時間ぐらいで小屋についた。水場もそこであった。小屋は見かけはりっぱだが中はちりでいっぱいだった。窓にはガラスはなく、ビニールや新聞紙が画ビョウでとめてあった。今度行くときはブ厚いビニールと画ビョウをいっぱいもっていってすきまのないようにしたいもんだ。床はガタガタ。それに土間がない。つまり、火をたくところがない。山小屋はやはりいろりがほしい。燃やすものがない三嶺頂上でさえ、いろりはある。ただ1ついいのは便所だ。小と大が3つ。まだ木の香がする気持ちよいキジ場だ。堂床のもいいけどあそこはコンクリートで冷え冷えとしている。荷物を置いてさっそく落合峠は行ってみた。あまり広くなかった。けど感じはよかった。烏帽子の姿が印象的だった。矢筈は白く雪をかぶって突ったっている。険しそうだ。あすはきっと登ってやる。そう決心して小屋へ帰った。きょうはすき焼きである。うまいの何のって、メシがたらなかったぐらいだ。しあわせ。それから少し外で遊んで、ウィスキーをひっかけるとすぐ寝袋へ入った。そして歌いだした。M田さんも大声で歌った。長かった受験生活も終わってやっとやりたいことができる、そんな気迫が感じられた。話が自然に始まった。自殺のことや人生のこと、大学について、つぎつぎと語られていったが、僕はただ聞いていた。話たくなかった。じっと聞いていたがひと言ひと言が僕の胸に突きささった。りっぱなことを考えているなあと思った。M田さんは大学で必死で勉強して、実力で仕事をやりたいと言った。そこには山がすべてなどという考えは微塵もなかった。仕事がすべてなのである。偉いなあと思った。さっき歌った早稲田の校歌がうらやましく思った。

19730323(1)_落合峠をバックにお地蔵さんのところで

19730323(2)_小屋より少し手前のガレ場で

 

 

 

 

 

 

 

19730323(3)_小屋より矢筈絵前のピーク

19730323(4)_落合峠にて

19730323(5)_落合峠にて矢筈山をバックに

 

 

 

 

 

【コースタイム】
5:17 後免駅
7:32 – 7:56 祖谷口駅
9:55 – 10:05 落合
10:20 – 11:00 神社(昼メシ)
13:45 落合峠小屋

 

昭和48年(1973年) 3月24日(土) 天気:くもりのち快晴

#天気図

【感想】
起床6:00。雑炊を作って朝メシをとり、サブザックへ昼食その他をつめこんで7:05出発。ゆうべはよく眠れた。快調だった。天気はよかった。落合峠をすぎ最初のピークを登り、尾根道いやこれは稜線である。稜線の道を矢筈めがけて歩いた。2つ目のピークを過ぎると10センチぐらいの積雪があり、行くにつれて深くなってきた。あたりは雲がとび、出かけの空が夢のようで、もうすぐ雨がきそうだった。北の風が強かった。きっと寒冷前線が通過しているのであろう。かなりのペースで時々道をまちがいながらも十九谷の頭へつき、そこからは小屋が見えた。登りになる。きついこうばいになる。雪は1メートル近くになる。しかし、30センチグライしかもぐらない。結局矢筈の西南のピーク直下へついた。雪の深さは1メートル以上あった。小休止。雪のあいまから目の前の矢筈がチラリチラリと見えた。ここには岩があってその下の雪をほればよいビバーク地になると思った。1回やってみたいなあ。そこから下りになる。そこには小さな雪庇がきれいにできていた。北の風が強いのだろう。いつのまにか風は南にかわり晴れ間が見えだした。岩の多い険しいところを登り切ると岩峰がありすぐ頂上へついた。天気はバッチリよくなっていたが三嶺や剣はかすんでいた。記念撮影をし、コーラをのんでちょっと休んだ。展望はよかった。石堂山、黒笠が低く見えた。さっき通ってきたピークは白い雪をかぶった唯一の山ですばらしかった。矢筈の頂上にはほとんど雪はなかった。日があたるからであろう。すぐひきかえす。こんどはあのピークをトラバースした。雪の中のトラバースはきつい。踏み跡もなく腰まで入った。天気はすっかりよくなり、春の散歩といった感じだ。落合峠の上で昼食j。モモカンはうまかった。おかしがまっと欲しかった。1時間半休んで烏帽子へ向かった。雪はあったがたいしたことはなかった。落合峠の西の1683.0のピーク。すごい景色だ。三嶺・剣・矢筈・寒峰・中津・土佐矢筈・梶・遠く白髪や表・奥工石・赤石山系に笹・石鎚のあたり手にとるように見えた。西の山々もはっきり見えた。これほどの景観は初めてだ。フィルムが少ないのを残念がっている。そこからはろくに道もないひどい所だ。ガケあり、ヤブあり、笹ありでだいぶ時間をくい、寒峰行きの夢はくずれた。おまけに犬の足音があらわれ、前の方でワンワン吠える。飼い犬かな。いや、人の足跡がない。野犬か。この足跡大きいぞ。どこからおそわれるかしれない。注意していけよ。ピッケルのない僕はでかいこん棒を持ってビクビクしながら寒峰別れのピークへついた。ここももちろん景色がいい。写真をとった。峠から1時間半。それからこのピークの登り初めに右側へ水場への道があった。すぐに烏帽子へ向かった。南側はたしかにきつかったがすぐついた。すぐとってかえして峠へ向かった。暗くなるまでに小屋へ着かねばならない。3:30をまわっていた。帰りは烏帽子から1時間半で帰れた。気温がさがっているらしく、峠付近では雪がカチカチに凍っていた。この山系は人が少なくていいけど夏はやはり大ぜいじゃないとヤブコギでたいへんだ。今度は冬に一人で中津から剣まで縦走したい。晩メシはカレーウドンだった。みんないささか疲れていて、食い終わるとすぐ寝てしまった。

19730324(1)_縦走路より矢筈山

19730324(2)_寒峰分岐で三嶺をバックに

 

 

 

 

 

19730324(3)_寒峰分岐で剣・次郎笈をバックに

19730324(4)_寒峰分岐で落合峠、矢筈をバックに

 

 

 

 

 

 


【コースタイム】
 7:05 小屋発
7:15 落合峠
9:45 – 10:05 矢筈山
11:30 – 13:00 落合峠(昼メシ)
14:30 – 14:45 烏帽子別れ
15:20 – 15:30 烏帽子山
17:10 落合峠
17:15 小屋

 

昭和48年(1973年) 3月25日(日) 天気:雪のち晴れ

#天気図

【感想】ゆうべは寒かった。前線が通ったので冷え込んだんだろう。雪がパラついていた。ヤッケもきこんだが寒かった。7:30起床。するとK村が何とか叫んだ。ビックリして飛びおきると僕とK村が寝ている辺がまっしろ。雪が2センチぐらいつもっている。寒いはずだ。天井からいや天井はない。屋根から雪がパラパラ音もなく落ちてきて、首の中が寒かった。今日の朝はお茶づけとsimpleにいった。あっさりしてけっこううまかった。さあ、この山ともお別れだ。僕たちは1年間、山とはごぶさたしなければならない。なごりおしいが小屋をあとにして、加茂目ざして下山した。峠で万才三唱して、粉雪の舞う白銀の落合峠とお別れした。1時間も歩くと営林署の小屋の横へ出、道路へ入った。立て札もなにもないから橋をわたって谷の左岸を登ってしまいそうだ。導標がほしい。そこからは林道がだらだらと続いた。深渕はダムサイトにキャンプ場があった。桟敷峠をいっきに越えると眼前には三加茂の町が広がった。少し行くと導標があって、登山道へ入り、尾根をとおって平の人家まできた。道路まで何とか降りたがこっちから登るときは登山道へとりつきにくい。絶対わからない。西谷橋で降りて道路を少し登ると上に家が見えてくる。そこえの小さな道路(車入れる)があるからそこへ登り、ずっと行くと山側にトタンのドラムカンの半分の水路が上からきている。そこがとりつきである。その左岸をいくといつしか山道になる。西谷橋で茶をわかしてメシをくった。あと10分しかないのに。これは去年の工石の二の舞になるとじょう談を言っていたがあにはからんや。そのとおりになってしまった。茶びんをかかえてマイクロバスに乗り込んだ。それからがたいへん。道が悪いし、その運ちゃんが飛ばすの何のって。コップへ入れた茶は半分以上とび出る。ろくに飲めなかった。池田でそばを食べ、汽車へ乗り込むとぐったり。話す元気もなく、みんなボンヤリしていた。とうとう山ともお別れか。よし、1年たったらまたくるからな。山よ、さよなら、ご気元よろしゅう。またくる時には笑っておくれ。またくる時には笑っておくれ・・・・・・・。

【反省】
カンヅメは重いがうまい。もっとうまい食い物がいっぱいほしいぞ。

【コースタイム】
8:30 落合峠小屋 発
9:25 営林署小屋
11:05 桟敷峠
12:10 – 12:33 西谷橋
池田
後免

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