19720320-23(5)_石鎚山~瓶ヶ森
【メンバー】K村、私
【装備】ツエルト、ピッケル(M田さんのもの)、登山靴、スパッツ(M田)、ストッキング(かえ)2、セーター2枚、オーバー手袋
【費用】バス(西条ー西之川)180円、汽車+急行券800円+200円、食費他1800円、23日夜食他500円、合計3280円
【献立】20日(昼)弁当(五目ずし)(夜)ウドン(肉入り)、紅茶
21日(朝)パン、ハム、紅茶、アメ(昼)無(夜)シチュー、ラーメン
22日(朝)ごはん、ふりかけ、ハム、のり、茶、お吸い物(昼)パン、ジャム、ハム、きゅうり(夜)ラーメン、茶、お吸い物
23日(朝)ごはん、ふりかけ、みそ汁(昼)パン、きゅうり、ジャム、ハム
昭和47年(1972年) 3月20日(月) 天気:雨
【感想】高知からの車で僕とN博が酔うた。N博は気の毒である。10時半面河に着き、小休暇してから小雨の中を意気揚々で出発。カッパが汗でベトベトである。25kgの荷物がこたえる。長々と階段が続く。すごいアルバイトである。T原の言葉が脳裏をかすめる。面河山を過ぎたころから、雪がありだした。カッパをぬいでカサをさしていたが風が強くなったので、ピッケルのカバーをはずした。アイゼンをはいた三人の人に便所の向こうであってから、雪がますます深くなってピッケルワークもかろやかに進んでいった。同じようなトラバースが続く。雪がどんどん深くなり雨が強くなる。もう三時間以上も歩いただろうか。疲れてきた。小屋はありそうにない。雪は腐っていてスボッと50cm、ヒザの上まではいることもあってバランスをとるのがむずかしい。両足腰まで雪に入って動けなくなったこともあった。キスリングとともに滑落して、ピッケルでとめた。命びろいだ。ピッケルがなかったらと思うとぞっとする。ますます雪がやわらかくなり、また、疲れてきた。アセリが見えだした。まわりの景色はぜんぜん見えない。同じ場所を回っているような気さえしだした。もう無我夢中である。石鎚へ2250mの標識が久しぶりにあって、先の心配は消えた。前方に小屋が見えた時は思わず走り寄ったほどである。その時カサと、ピッケルのカバーを落としていた。(水を汲みに行ったときわかった。)K村執念のウドンもどうやら食え、神戸の人たちにごちそうもして今はぬくぬくと寝袋の中にいる。あの雪との戦もウソのようだ。ただ天井いっぱいに干された衣服がそれを物語っている。さああしたは石鎚だ。天気のいいのを願っておやすみなさい。
【行程】
7:15 後免 発(車)
10:30 – 10:50 面河
11:10 登り口
11:30 – 12:00 昼食
15:43 愛大小屋
21:00 就寝
【愛大小屋でいっしょになった人】
神戸市垂水区西舞子*丁目**の* M井*之さん
昭和47年(1972年) 3月21日(火) 天気:曇りのち晴れ
【感想】昨夜から何やらバラバラと屋根に落ちている。何だろう。21日は五時半に起きた。とても寒い。室温は-3℃である。外は何やら風が強いらしいがぜんぜん様子はわからない。戸も凍りついて動かない。ひとまず朝食を食べることにした。パンとジャム本当にまずい。一本しか食えなかった。オシッコをもよおしてきたので思い切って戸を開けることにした。ドンと体当たり。とたんビューと風が吹きこむ。切れるような冷たさだ。あっとビックリ。白い妖精が舞い降りたかのように小屋の前の木々はまっ白。幻想的な美しさで輝いている。十センチにもあろうかというほどの見事な樹氷だ。美川スキー場での雪を見た時をはるかにしのぐ感激と石鎚の自然に対する尊敬の念がおこってきた。やはり石鎚は西日本一の山だ、そんな感じだった。その中で小さなキジを討つ。実にそう快。外は-5℃の寒さである。それから大きなキジを討ちに行く。ちょっと遠いし、下は吹き抜けである。きのう見た不潔さはない。何しろ何もかもがカチンカチンだからね。またいだとたん、吹き上げた風に〇ン〇もちぢみあがった。無事大きなキジを討ってきて、落ち着いてくる。さあ、きょうはどうしようか。すごい風である。空はあいかわらず曇っている。雪はカチンカチンである。もう少し待とう。変化がなければ停滞ということになった。きのう停滞していたパーティーは余分の食料を残して石鎚へ向かった。ピッケル、アイゼン、ワカン、サングラス、ザイル、上下ヤッケと完全装備である。神戸の人は9時半に残した荷物をひろいに帰るという。神戸からやってきたのに気の毒だ。僕たちも水を汲みに途中まで付き合うことにした。途中青空が見えだした。太陽の光線が白銀の世界にふりそそぐ。思わず感嘆の声がもれる。この世で一番美しい光景である。いそいでリターンして出発の用意。また大自然との戦に出発だ。下はカチンカチンに凍っていた。一歩一歩踏みしめて進む。M井さんに家へ連絡してもらったから安心だった。谷間には雪崩のあとが生々しく残っている。用心して一人一人渡った。雪玉が落ちかかりそうに頭上でひっかかっているところもあった。道はあいもかわらずトラバースである。次々とあらわれる雪崩のあとに神経がすり減らされる。途中後ろから追いついてきた学生さんに案内してもらうことになった。その人はピッケルは持っていなかったがアイゼンをはいていた。慣れたものでさっさと進んでいく。もう石鎚は五・六回以上登っているようだった。シコクシラベの原生林を抜けて急な登りを登ると堂ガ森からの縦走コースとおちあった。尾根である。そこで小休暇。そこからがたいへんだ。約80度もあろうかと思われるところをトラバースしていく。下はコチコチ。谷は底も見えない。スベッたらこの地獄へまっさかさま。助かりようはないだろう。右手でピッケルをザクとさしながら、それにつかまってジリジリ進む。学生さんはサッサッといって三の鎖で休んでいる。右手が動かなくなる。ピッケルの根本までさしこんだり抜いたりするのだからしかたがない。両手でもうはうようにして乗り切った。ほっと一安心。ここで小休暇。頂上への道があったが途中でひっかえす。そこから二の鎖小屋まで夏だと十分のところを一時間以上もかかり、やっと二の鎖小屋へ着いた。2:45。もう下るにはおそすぎる。ここで泊まることにした。二人だけになると急にさみしくなった。もう恐ろしさはたくさんだ。あしたは降りろうと思いだしていた。今までの強気はどこへ行ったのか、すっかり弱気になっていた。土小屋への道は足あともなく、二メートル近くの積雪で雪崩の危険が大で無理だ。つくづく冬山の恐ろしさがわかった。6時現在-6℃だ。とても寒い。時々雲の切れ間から夕日に輝く石鎚連山が見えた。すばらしい。写真を撮ろうと思って外へ飛び出して行くがすぐ見えなくなる。こんなことが数回続いた。あしたは石鎚の姿を見たい。帰りたい。現在7:00。もうぐったり。うつらうつらしていると人の声が聞こえる。ハッと目がさめた。夢かな、いやちがう。捜索隊でもきたのかなと思った。すると二人パーティーだ。ヘッドランプをつけてロープでつないでこの暗いなかをあのトラバースを経て下ってきたそうだ。すごい。さぞ恐ろしかっただろう。本人たちは平気顔である。いそいでちらかっていた荷物を片ずけて、あけてやった。全くのハプニングである。再び沈黙が訪ずれた。
【行程】
10:30 愛大小屋 発
13:30 – 13:45 三の鎖
14:45 二の鎖小屋
23:00 就寝
昭和47年(1972年) 3月22日(水) 天気:晴れのち雨
【感想】きょうは御来光で幕をあけた。朝日に輝く瓶ヶ森、石鎚北壁はすばらしかった。寒さにふるえながら写真を撮った。昼前の氷のゆるんだ時をねらって土小屋からシラサ峠へ行くことにした。すばらしい晴天がわれわれの志気をふるい起こして、きのうのことなど忘れてしまった。八丁坂の手前、土小屋へ下る道があり、そこを下った。立て札がある。その道は大部分二、三十センチの雪があった。沢をいくつかこえて、塔谷へ着いた。石鎚から流れでる雪どけのせせらぎの岸で昼飯。これから登りになった。先頭はザクザクと雪にめりこむので疲れる。K村はキャラバンなので足が凍りそうだと言い出した。僕はバテだした。K村は強い。どんどん行く。西之川への分岐点へ行くまで本当に苦しかった。そこで休暇。先へ進む。左へ曲がって尾根を越えると土小屋が見えた。瓶も美しい。そこから少し楽なトラバース。途中すごい雪崩があった。倒された木がひっかかってかろうじて止まっていた。そのあたりから雪が三十センチぐらいになる。またバテた。土小屋の道路へ登るまでにまたバテた。さんざんである。土小屋のホテルで筒上への道は無理だと言われてシラサ峠へ向かった。よさこい峠には工事の飯場があって泊まれるという。とにかく出発した。林道を歩く。雪は1m近くある。ズボズボとはまりながら一時間近く行くとよさこい峠へ着いた。まだ少し暗くなるまで時間がある。シラサ峠に向かった。いけどもいけども道は続く。雨が降り出し、霧がかかり、うす暗くなる。どこにいるかぜんぜんわからない。アセリはじめたころシラサ峠へ着いた。少し下ったところにはシラサ小屋があった。ブロック立てのがんじょうな小屋だ。しかし戸がない。吹きっさらしである。ああ疲れた。土小屋から見た石鎚、瓶ヶ森、筒上、岩黒の勇姿が目に浮かぶ。あしたは瓶ヶ森へ登って、西之川へ下りる予定だ。天気がよくて、石鎚を見たい。今、8:30。
【行程】
10:55 二の鎖小屋 発
12:10 八丁坂手前分岐
13:20 – 14:10 御塔谷
16:10 – 16:15 土小屋
17:30 よさこい峠
18:20 シラサ峠
18:40 シラサ小屋
20:30 就寝
昭和47年(1972年) 3月23日(木) 天気:雨のち晴れ
【感想】5:00起床。あいにく天気は悪い。メシを食ってきのうからやっていないキジ討ちを、幅の広い底の浅い戸がない便所でやって出発した。小雨が降り出した。シラサ峠から風が急に強くなり、カサをやめてヤッケを着た。縦走路を行った。雨がますます強くなる。いつのまにか子持権現山を過ぎたようであり、途中で道路に出た。しばらく道路を行くと大きな駐車場へ出た。K村は去年の夏、この辺まで来たそうだ。あとは心強い。瓶ヶ森をトラバースして二千石原に出た。K村思い出の瓶ヶ森ヒュッテに着いた。荷物を置いて、頂上へアタック。二分ぐらい頂上にいた。笹一面でいいところだった。念願の瓶ヶ森だった。帰りは10分で下った。西之川へ下る道はひじょうにきつかった。びくつきながらどうやら下った。常住のあたりまでくると、すっかり春でいい天気だ。石鎚や瓶ヶ森の上は雲にかくれている。上はまだ冬なのに。下はポカポカ。汗ばんでくる。蛇も三匹も見た。西之川までには途中まで林道がついていて、これはシラサ峠までのびるそうだ。ガックリ。石鎚連峰はもうズタズタに引きちぎられた感がある。西之川から西条へ行って、汽車で長い帰路に着いた。数日まえの自然との戦いを脳裏を横切る。また来るぞう~。
【行程】
5:00 起床
6:30 シラサ小屋 発
9:20 – 9:30 瓶ヶ森ヒュッテ
9:45 瓶ヶ森
9:55 – 10:00 瓶ヶ森ヒュッテ
13:00 – 13:20 名古瀬谷(昼食)
13:45 西之川
【反省】春山を甘く見すぎていた。アイゼンは必需品である。スパッツをしていてもやはり靴の中は濡れる。オーバーシューズが欲しい。ピッケルはいうに及ばない。あのトラバースのときは命綱だった。それから入小屋のさい、荷物をちらかしすぎる。山渓2号の入幕の技術を学習すべし。キスリング。私物缶。私物袋。シュラフ。ツエルトでまとめる。その時の食料、炊飯用具は入り口近くに整頓。共同装備は一番奥へ。私物袋を枕にし、キスリングを足の下へしき、その上へねる。私物缶は枕元へ。それから耳まで入る帽子がいる。写真はできるかぎり撮りたい。又、天気予報は絶対聞くべし。22日、23日、いかに不安だったことか。他にといえば、そう体力がない。ピッケルワークの腕力。雪の中を歩く脚力。これは絶対大事だ。これからは体力作りと装備の拡充に専念すべし。食べ物について。ひとこと。パンはダメだ食えない。北村氏の新説だが「山では水分のないものはまずい。」はいいことをいっている。それからもっとましたものを食いたいものだ。料理の研究も今後の大事な課題である。




























































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